いつでも美しい
先日、オーストラリアからのお客様と一緒に座禅体験をした時のこと。
普段から、ヨガをしていて家でも瞑想をしているという事で
座禅には興味津々で楽しみにされていた。
約1時間の朝の時間。
それは、もう素敵な時間でした。
実際、私自身はといえば、あー💦、あの訳、イマイチやったなぁ、もっと適切な単語、、何が良かったやろう、帰ったら調べよう、、、などと座禅中も終始頭の中がグルグルしていて、集中はほとんどできていなかった。それでも数分間ぐーっと、集中力が高まる感覚も味わえた。
雨上がりのフレッシュな空気
秋晴れのキラキラと、優しい光
障子に映る木の枝と、ゆらゆらと揺らぐ葉っぱの様子
風に揺れる竹林のサラサラとした音
遠くから聞こえる小鳥たちの声
雲に隠れたりして、光の様子が絶え間なく移り変わる様子
かすかに香る、お香
整えられた空間
準備して待っていただいていたことが伝わる空気感
ご住職の大きく、あたたかい、朴訥とした物腰
ゲストのワクワクと緊張感
皆の呼吸の音
少し膝の位置を変える時の遠慮し気味な動き
そういう目に見えるものも、見えないものも、つぶさに感じられる。
1週間経った今でも、おー、これだけ覚えてるのは
まさに、 私自身マインドフルだった証拠かも!?
座禅後、余韻をもう少し味わおうよ!という事になり、近くの公園で座りながら、しばし禅トーク。
特に、印象に残ったのは何?と聞くと
いつでも、どこでも、できる、という点。
ご住職からのアドバイスで、別にきちんと胡座をかいて座らないとできないものではない。ちょっとした隙間時間に、自分の呼吸を頼りに、今している事に意識を置くことを意識する。それも十分に禅の時間だ。
そして目を開けるという点。
目を開けているのは一つは寝ないため笑。
もう一つは自分の状況に自覚的になるため、ということ。
目を開けるって知らなかったわぁ、、とゲスト。
でも自覚的になる、というアイデアには納得!
目を閉じて、現実と切り離された世界にいき満足することは簡単
でも私達は現実を生きないといけない
だからちゃんと目を開けて、現実と向き合いながら自分を客観的に捉える
それが大事って事なんじゃない?
これって、ヨガのOFF THE MAT との考え方似てるよね?
ヨガのプラクティスもマットの上だけではなく、マットの外でも=日常生活の中でもヨガの学びは実践していけるよね、という考え方。
3人で他にも色々語って、たどり着いた結論。
やはり禅は、生き方の知恵の道だ!と、妙に納得した私たち3人。
そういえば、座禅の最後に
あまりにキレイなお庭に感激した私。
ほんまに美しいですねー、特に雨上がりで苔が瑞々しくて!と私が言うと
”いつでも、美しいんですよ”
と、ご住職が一言。
最後の最後に、思わずハッとした。
そう、どうしても、何かを感じる時に理由を無意識に探しているのかもしれない。
美しいと思ったら、それだけでいいのだ。
理由はいらない。