京都の通訳ガイドEriの小話

”大切な人を大切な場所へ”をモットーに地元京都で通訳案内士をやっています。ツアーで出会った愛すべきお客様達とのエピソードや、改めて感じた京都、日本の魅力を綴っています。#通訳ガイド#ブログ

観光地側が時々感じる、もやもやの正体

京都は多くの観光客が訪れてくれる街だ。

とてもありがたい。

それは本当に思っています。

でも、なんというか、なんか、、なんか、ちょっと心地よくない、モヤモヤした感情が沸いてくる事が時々ある。関係各所からは、わかりやすく”苦情”として表面化してくることもある。

 

わかりやすい例は、いわゆる観光客のマナー。

静かに過ごしたいお寺で大声で騒いだり、進入禁止のところに入って写真を撮ったり。すっかり雰囲気が損なわれてしまう感じがすることも。これは外国のお客様に限らず日本人のグループや修学旅行生達でもよくあることだ。

メディアではマナー違反に目くじらをたてたような記事があったりするが、これについては、所変われば日本人も同じ事をしてしまっている。

 

以前、訪れたオーストラリアのエアーズロックでのこと。

行き当たりばったりの旅だったので、事前予約をしておらず、当日あいていた英語のツアーに参加した時。エアーズロックまでの移動のバスの中、ガイドの方が、エアーズロックがいかに先住民アボリジニー達にとって聖なる、大切な場所かを語っていた。そんな大切な場所に、あるアジアの2カ国はツアーとして登山にやってくるんだ、、と悲しそうに話していた。それは日本の事やなぁ、、と薄々感じながら、到着すると、日本の旅行会社の旗を持った添乗員と日本人の団体が、ワイワイと、その聖地を登って写真とキャーキャーと撮っていた。それを私たちのグループは残念そうな目で見ていたのだ。。

 

そう、この観光地側が感じるもやもや。

この正体は、ずばり観光客の”敬意&興味の欠如”からくる”理解不足”だ。

 

エアーズロックの例も、元々は聖地だったところを観光地として受け入れた地元の事情もあったと思う。それを何も知らず、素敵な写真撮れる場所やーん!と呑気にやってくる観光客。彼らは純粋に旅を楽しんでいて、そもそもその場所がどういう意味のあるところなのか、というのを気付いていないし、恐らくガイドも説明していない。つまり悪気はないのだ。シンプルに楽しんでいるのだ。

 

京都でいえばロケーションフォト。

もちろんこの景色を撮りたくて!と思い思いの服装やドレスで撮影をしにきてくれるのは嬉しい事だが、あくまで京都は背景として存在しているだけで、似たような場所があれば、ある意味京都でなくてもいいのだと感じる。

そもそも京都という土地や、そこで暮らす人や文化には、興味を示さず、なので理解もせず、結果的にマナー違反をしてしまっている、、、。

なので当人達は楽しい思い出だが、受け入れ側の観光地は、なんとも、もやもや、そう切ない気分になるのである。

 

だから、私のツアーでの拘りは地元の人や文化に徹底的に焦点を当てたいと思う。

その場所に訪れる意味、その場所の背景や歴史、そこで暮らす人の様子や文化、それを知れば、きっとその場所の見方も変わり、興味も出てくる(はず!)。そして自然にその場所への敬意は生まれ、マナーは守られて、旅行者と観光地が良い関係になるのでは、、と信じている。

理想論やろ!と言われそうだが、現場最前線として、わずかながらでも、1つずつ取り組んで行く日々なのです。

 

お問い合わせ・依頼はこちらまで

 

f:id:kyototravel:20190419150356j:plain